映画・テレビ

ハプニング (2008年アメリカ)

低予算で作った映画なのか、低予算でもおもしろい映画は作れることを監督は証明したかったのか?ジャンルとしてはSFやパニックものに入るのだろうが、VFXはまるで無いし、著名な俳優が出ている訳でもないし、逃げ惑う群衆を演ずるエキストラも少ないし、出てくる家といったらどこかの田舎の安っぽい家とかモデルルームだし、人間を次々と自害させていく原因は植物の化学反応(?)であるらしく、それが風で伝播していくという設定なので広い草原や公園や郡部といったセットの必要の無いシーンが多くなっている。クローズアップが多く、人物の恐怖感がもろに伝わってくるので見ていて飽きないし、お金がかかっているシーンは皆無なのだが追いつめられている緊張感が持続していていい仕上がりになっていると思う。人がライオンに腕を食われるシーンとか芝刈り機の下敷きになるシーンなどB級映画のようなシーンもあるにはあるが、全体としては悪くない映画だと思う。昨年の「クロスフィールド」のように、見えない(よく見えない)ものが人間を恐怖に陥れる、その見えないものについては映画はいちいち説明しない、というスタンスのようだ。こうした映画がこれからも増えていくのだろうか?起承転結ではなく「起」だけが突然訪れ、なんの解決策もなく終わってしまうのが昨今のはやりなのだろうか?

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ジャンパー (2008年アメリカ)

トランスポーテーションができる青年の映画。レンタル屋には本数があまりなく、これといった有名俳優も出ていないことからB級映画の部類に入れられるのだろうが、最後まで飽きずに見れる結構おもしろい映画だった。トランスポーテーションできる能力がなぜ身に付いたのか、その能力を持つ人間を追う組織はいったい何なのか、主人公の母親はいったい何者なのか?などなどの疑問が出てくるのであるが、そのような枝葉末節はこの際どうでもよいと言わんばかりの迫力が映像にある。ローマのコロッセウムって格闘技場と聞いていたので学校のグラウンドのような所かと思っていたがそうでは無いことがわかった。東京の銀座も出てくる。

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ブレイブ ワン (2007年アメリカ)

「タクシードライバー」の30年後、という意見があるが当時13歳だったジュディ・フォスターが主役。

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アイ・アム・レジェンド (2007年アメリカ)

廃墟と化したニューヨークがこの映画の見所だ。その廃墟の中で人間(ウィル・スミス)が犬と共に住む。人間以外はゾンビ。廃墟となった都会の孤独。自分が住んでいる街が廃墟になっている映画をニューヨーカーはどんな気持ちで観るのだろうか?

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クローバーフィールド (2008年アメリカ)

あれはGOZILLAであろう。しかしタコのような足があるなあ。いずれにせよ正体も全容も明らかにされず、この巨大生物がどうなったのか、どこから生まれてきたのかもまったく明らかにされない。奇をてらった宣伝活動、奇をてらった映画作り。結構おもしろいし、映画関係者に与えたインパクトは大きいものがあると思う。がしかし、映画というものにはもっと説明責任が必要ではないか。怪獣が突然ニューヨークに現れるのは映画だから許されるのだろうか。事態をハンディカメラで撮り続け、撮る人が不在になるとそこで映画が終わってもいいのだろうか。全ての映画には「事件」があり、その事件に至る経緯や結末を表現するのが制作者の責任ではないかと思う。唐突に宣伝活動が始まり、唐突に怪獣が現れ、唐突にカメラが壊れて映画が終わる。これでは文明や科学に対する警告にもならないし医学の進歩への畏怖もない。科学進歩のための参考にもならないし、監督の未来観や人生観・世界観の発露にもなっていない。起こった事態は大変なことだろうが、ただ大変なだけではないか。だからこそ、今人類は何をすべきか、どう生きるべきか、といったテーマが何もないというのは、許されることなのだろうか?このような映画が評価され、ヒットしてしまうと「起承転結」の「起」だけで終始するような映画が量産されはしないのだろうか?もっとまじめに映画は作られるべきなのではないだろうか。

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紀元前1万年 (2008年アメリカ)

ローランド・エメリッヒ監督(Gozilla、インデペンスデイ、デイアフタートゥモロー。どれもCGを駆使した、各ジャンルで先駆的な映画だ)が撮ったヒューマンムービー。CGやVFXを駆使した最近のSF映画やパニック映画は、大量の人間が食われたり襲われたり海に沈められたり絶滅させられたりと、映像の迫力とは人間が悲惨な結果になることだとする風潮があるが、この映画は、紀元前1万年前の人間がこれほど理性的で慈愛に満ちた存在だったのだろうか、と思わせるほどだ。子供も楽しめる教育的な映画を目指したのかもしれないが、CG映画ファンとしてはマンモスの挙動のリアルさやピラミッド建設現場の緻密さなどを安心して楽しむことができる。ピラミッド建設など、世界の7不思議の建立をテーマにしたCG映画がもっと作られてもいいのかもしれない。

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NEXT-ネクスト- (2007,アメリカ)

原作フィリップ・K・ディック。未来を予知できるという点でスピルバーグの「マイノリティ・リポート」とテーマと原作者が同じ。ディック原作の映画はマイノリティ・リポートもブレードランナーもトータルリコールも、どれも予算をたっぷりつぎ込んだ作品が多いが(スキャナー・ダークリーはよくわからないけど)、CGやVFXを駆使しているわけでもないこの映画は、低予算にもかかわらず、破綻や飛躍がない映画として評価されていい作品だと思う。相変わらずニコラス・ゲイジは柔なヒーローを演じているし、テロリストの一味がニコラス・ゲイジを追い回す理由もはっきりわからないのだが、2分後を予測できる能力を持つ凡人が国家の存続に関わることになるという原作をいささかの誇張もなく、それでいてハリウッド的なハラハラドキドキもので見せてくれる。未来に起こるであろうことが映像で示され、実はそれは実際には起こっていなかったのだと最後に明かされるのだけれど、起こりうるかもしれない事態を見せられ、それを観ている人がそれなりに楽しめたのなら、最後がどんなオチであっても良いのではないかと思う。

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トランスフォーマー

私が期待する監督、マイケル・ベイ2007年の作品。やっぱり彼はB級の映画監督なのだろうか。
これは良くない。もしこれが日米で理解され、ヒットし、マイケル・ベイが次代のスピルバーグのように奉られるのであればもうアメリカのVFX映画に未来はない。
パニック映画ももうさっぱりだし、ナオミ・ワッツのキングコングも評価が低いし、ゴジラ2は出ないし、トム・クルーズももう歳だし、次のスパイダーマンまであと3年は待たされるのだろうし、もうアメリカ映画の何を見たらいいのだろう。ホラー映画とスリラー映画、「24」のようなテレビドラマしかアメリカはもう作れないのだろうか。スピルバーグの「宇宙戦争」のような良質なVFX映画を見ることは数年に1度しか許されないのであろうか。

車がロボット化するVFXは確かに迫力があるのだけれど、それだけだったら車のCMでやれば良い。何がダメなのかといえばマイケル・ベイがおもしろいと思うものだけをつなぎ合わせているという断片的な映像作りがダメなのである。映画とは、ブラッド・ピッドが出た「バベル」のように、見る者の予想と期待の通りに進行する部分と、予想と期待を超える部分の両方がなければおもしろくないのだ。見たこともない映像が見れること、それが観客が期待するストーリー上にあるからこそ「ダイ・ハード」や「007」はヒットし続けるのだし、見ていて飽きが来ないのだ。トランスフォーマーには見た事もない映像を見せることだけが意識され、それが断片化しているため何が目の前で起こっているのか着いていけないのである。例えば、野球場に隕石が落下するシーンがあるが、このシーンの前後が無い。スピルバーグであれば落下した隕石に人が近づき、何かを目撃して叫ぶとか、球場に居た人が逃げ惑うなどのシーンを用意するだろうが、マイケル・ベイにはそうした発想がまったくなく、ただ落下するのみである。

マイケル・ベイ作品は私の中では2勝2敗である。勝ちが「アイランド」と「アルマゲドン」、負けが「ザ・ロック」とこの「トランスフォーマー」。次に何かを見てみないと落ち着かなくなってきた。

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バベル

違和の連続。

モロッコの片田舎から始まるこの映画は、「違和の風景」ともいうべき、非日常性の連続によって構成されている。

登場する人物は、平凡な生活から一歩進んで違和感を持ちながら生きているか、何かの拍子で違和の中に落とし込まれるか、なのである。

まず、日米の夫婦と親子は、極めて高踏的で高等的で高度な悩み(違和)を解消しようとしている。彼らが与えた事物が、モロッコとメキシコの親子らを違和におとしめる。メキシコの家政婦に預けられた子供たちも、砂漠の中の違和(危機)の中におとしめられていく。

極めて高踏的で高等な理由により菊池凛子の母親は自殺したらしいし、夫婦の絆を深めるという高踏的理由によりブラッド・ピッドとケイト・ブランシェットはモロッコに旅に出る。高度で高踏的な理由により菊池凛子は裸にならなければならないらしいが、プリミティブなモロッコの兄弟はおもしろ半分で銃を撃つ。菊池凛子と米国の夫婦の子供に危害はないのだが、プリミティブなモロッコの兄弟の兄は警察に撃たれて死んでしまう。

「違和」の連続なので見ている我々は相当戸惑うし、その戸惑いと、ある程度予想できる結末が、見る者を釘付けにして離さない。

日常の中に潜む危機が一気に顕わになる、そんなふうな映画だともいえるだろう。

監督アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥはたぶん、寡作な作家なのだろうが、私としてはパトリシア・ルコントとともに、佳作を撮れる監督として記憶するつもりだ。

「パリ・テキサス」(ヴィム・ベンダース監督)のライ・クーダーのスライドギターを彷彿とさせるギターとズームアップの多用、肉体を投げ打つ寝ころぶシーンの多さ。

米国で育ち、映画学校を卒業しハリウッドで経験を積んだ監督には決して撮ることができない映画だ。そういう意味で貴重な映像作家であるし、同監督の作品をもっともっと観たいと思う。

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ザ・ロック

マイケル・ベイ、1996年の作品である。同監督の「アイランド」(2005年)がB級映画と言われる一端が、この映画を見るとよくわかる。

前半は良い。ショーン・コネリーがこの映画に渋い味付けをしているし、ある種の「重さ」を醸し出していて、本格的な娯楽映画を見ている気分にさせられる。特に髪を切って紳士になるシーンなどは極めて映画的だし、バスルームの洗濯ひもを小道具として使うところなど、本当に長い刑務所暮らしをしてきたのだなというリアリティがあって引き込まれる。サンフランシスコの坂道を使ったカーチェイスも、とてもおもしろいし、一級のエンターテイメント映画として楽しむことができる。

がしかし、アルカトラズ島を占拠した海兵隊と人質を救う特殊部隊がドンバチし、ニコラス・ゲイジとショーン・コネリーの二人が生き残ったあたりから、単なるカンフー映画、ジャッキー・チェーン主演のアクロバット映画のようになってしまうのである。

化学兵器を積んだロケットも安っぽいし、化学兵器自体がおもちゃのスーパーボールに見える。ラスト近くにニコラス・ゲイジが自分の体を刃物で突き刺す理由がよくわからないし、ラストシーンの、教会の椅子から取り出す弾丸のようなものからフィルムを取り出すシーンも何のことなのかよくわからない。このあたりはマイケル・ベイの何かに対する思い入れなのだろうが、どうも観客にはそれが伝わらない。単なる遊びなのかもしれないが。。。

B級映画とは、監督の思い入れが強くてそれが観客にうまく伝わらない映画のことを言うのかもしれない。

フランシス・フォード・コッポラ、マーティン・スコセッシ、トニー・スコットそしてスティーブン・スピルバーグのように米国映画を背負って立つ映画監督としてマイケル・ベイには育ってほしいと思うのは私だけではないと思う。一級の、王道を行く娯楽大作を撮れる監督になれるのは米国にはあまり多くいないのではないだろうか。

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